岡山大学医学部の歩み

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未来へと紡ぐ、業と精神。岡山大学医学部が歩んできた140年間の軌跡。

平成

平成3年
(1991年)
4月 附属癌源研究施設及び環境病態研究施設の改組・転換に伴い医学部附属分子細胞医学研究施設を設置。
平成10年
(1998年)
10月 医療技術短期大学部を改組・転換し、医学部保健学科を設置。
平成13年
(2001年)
4月 大学院医学研究科および歯学研究科を統合し、「大学院医歯学総合研究科」を設置。
平成15年
(2003年)
4月 大学院医歯学総合研究科に医歯科学専攻(修士課程)を設置。
10月 医学部附属病院と歯学部附属病院が統合し、医学部・歯学部附属病院と改称。
平成16年
(2004年)
4月 国立大学法人法の施行により、「国立大学法人岡山大学」となった。
平成17年 4月 大学院医歯学総合研究科と大学院自然科学研究科(薬学系)が統合し、
「大学院医歯薬学(2005年)総合研究科」を設置。
平成21年
(2009年)
4月 医学部・歯学部附属病院を大学附属病院とし、「岡山大学病院」に改称。
平成25年
(2013年)
4月 岡山大学病院が「臨床研究中核病院」(厚生労働省)に選定された。
平成26年
(2014年)
9月 岡山大学大学院医歯薬学総合研究科が「橋渡し研究加速ネットワークプログラム」(文部科学省)に選定された。
平成29年
(2017年)
4月 岡山大学病院「医療法上の臨床研究中核病院」に認定された。
  5月 岡山大学病院は「外国人患者受入れ医療機関認証制度(JMIP)」の認定を取得。

岡山大学医学部の先人たち

川﨑 祐宣
川﨑 祐宣 (1904-1996)
川崎病院開設 / 旭川荘開設 / 川崎医大開学 / 岡山県名誉県民
鹿児島県生まれ。昭和2年岡山医大に入学し、卒業後は外科に入局。35歳で年中無休昼夜診療の外科川崎病院を開設。県下有数の総合病院にし、それを母胎に同32年社会福祉法人旭川荘を開設。同45年には戦後初の私立医科大・川崎医大を開学した。医療と福祉、医学で大きな足跡を残した。
※卒業生
高原 滋夫
高原 滋夫 (1908-1994)
岡山医大 教授(耳鼻科) / 日本学士院賞、文化功労者 / 「アカタラセミア」発見
昭和21年、岡山医大卒業生として初めて同大教授に就任。
就任直後、カタラーゼ酵素が欠如する病気「アカタラセミア」を発見。医学上考えられない大ニュースとして、同27年、英国誌に掲載され世界に認められた。国内初の難聴学級開設・アカタラセミアで日本学士院賞、文化功労者に選ばれた。
※卒業生
陣内 傅之助
陣内 傅之助(1912-1988)
岡山大 教授(第一外科) / 胃癌拡大根治術
昭和23年、岡山医大第一外科教授に就任。脳手術の専門家であったが、胃癌治癒率向上のため開発したリンパ節を予防的に廓清する「胃癌拡大根治術」が学会で認められた。胃癌研究会の発足で学会の若手リーダーとして台頭し、同37年、大阪大教授に就任。
アメリカ式に外科で麻酔医を養成、岡山大の麻酔学、脳神経外科教室開設の基礎を築いた。
新見 嘉兵衞
新見 嘉兵衞(1919-2009)
岡山大医学部 教授 / 日本学士院賞
大正8年淡路島生まれ。新潟医大に入学し、日本学士院賞受賞の平沢興氏に師事、解剖学教室に入る。京大、徳島大から、昭和40年に岡山大教授へ。視床の研究を本格化する。昭和58年、視床のメカニズムを解明し「視床脳」を本にまとめた。それが評価され、翌年学士院賞が決まる。
山内 逸郎
山内 逸郎(1923-1993)
国立岡山病院 院長
岡山医大卒業後、国立岡山病院(現岡山医療センター)小児科医長に就任。
新生児医療に取り組み、昭和43年、岡山の新生児死亡率の低さが全国一に。また同52年には乳児、周産期を加えた3部門で日本一を達成。3年連続三冠王の快挙を成し遂げた。平成3年にはWHOの「赤ちゃんにやさしい病院」1号に認定され、世界の名医となる。
※卒業生

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