岡山大学医学部の歩み

トップページ >岡山大学医学部の歩み

未来へと紡ぐ、業と精神。岡山大学医学部が歩んできた140年間の軌跡。

昭和

昭和14年
(1939年)
5月 岡山医科大学臨時附属医学専門部の設置。
7月 岡山医科大学三朝温泉療養所(鳥取県東伯郡三朝村)を設置。
昭和18年
(1943年)
1月 岡山医科大学三朝温泉療養所は「岡山医科大学放射能泉研究所」と改称。
昭和20年
(1945年)
6月29日 岡山大空襲、大学内の木造建築の多くを焼失。
昭和24年
(1949年)
5月 国立学校設置法の施行により、岡山医科大学は、岡山大学に包括され、「岡山大学医学部」となった。
医学部に附属病院、三朝分院、金光分院、本島分院を設置。
昭和30年
(1955年)
4月 大学院医学研究科(博士課程)を設置。
7月 附属学校として助産婦学校を設置。
昭和32年
(1957年)
4月 医学部附属診療エックス線技師学校を設置。
昭和33年
(1958年)
4月 新医学教育課程(いわゆる岡山方式。少人数臨床教育。)の実施。
昭和35年
(1960年)
4月 医学部附属癌源研究施設を設置。
昭和39年
(1964年)
4月 医学部附属衛生検査技師学校を設置。
昭和44年
(1969年)
4月 医学部薬学科を設置。
医学部附属脳代謝研究施設を設置。
昭和50年
(1975年)
4月 医学部製薬化学科を設置。
昭和51年
(1976年)
5月 薬学科及び製薬化学科が分離独立し、薬学部を設置。

岡山大学医学部の先人たち

秦 佐八郎
秦 佐八郎 (1873-1938)
梅毒特効薬 / サルバルサン発見
島根県生まれ。明治24年第三高等中学校医学部入学、明治28年第三高等学校医学部卒業、岡山県立病院助手を経て明治31年上京、北里柴三郎の伝染病研究所に入所。その後ドイツに留学し、エールリッヒの下でスピロヘータに効く化学製剤の研究に励み、特効薬サルバルサン(エールリッヒ・秦606号)誕生の歴史的瞬間を迎えることとなった。
※卒業生
林 道倫
林 道倫(1885-1973)
岡山医大 教授(精神科) / 日本脳炎研究 / 岡山大 初代学長
大正13年岡山医大精神科教授に着任。
日本脳炎の流行の中、サルに脳炎を発症させることに世界で初めて成功。脳炎ウイルス研究の道を開いた。昭和23年、文部省の研究班長に就任、生物学的研究により、戦後の精神医学界のリーダーとなる。翌年岡山大初代学長に就任。現在の岡大正門通りのイチョウ並木は、林が退官記念の植樹で残したもの。
清水 多栄
清水 多栄(1889-1958)
岡山医大 教授(生化学) / 胆汁酸研究 / 帝国学士院記念賞受賞 / 岡山大 学長
大正4年、京都大学荒木寅三郞教授(岡山にあった第三高等学校医学部の元教授)の医化学教室に入り、胆汁酸の研究を始める。ドイツ留学の後岡山医大教授に就任。
昭和11年、12年間の研究成果をまとめた「胆汁酸の化学と生理」を出版。世界的レベルの研究成果と評価され、帝国学士院東宮御成婚記念賞を受賞。51歳で岡山医大学長となり、後に二代目岡山大学長。
八木 日出雄
八木 日出雄(1899-1964)
岡山大 教授(産婦人科) / 岡山大 学長 / 子宮がん手術
子宮頸がんの手術法で広く知られる「系統的広汎性子宮全摘出術-岡林術式」。岡林京大教授に見込まれ昭和9年、岡山医大教授に就任。岡林の継承者として八木の名は世界に広まり、「子宮がんの岡大」と評価は高まった。同33年、三代目岡山大学長に。岡山対癌協会長、川崎癌研究所所長なども歴任。
桂田 富士郎
三木 行治 (1903-1964)
医学博士 / 岡山県知事
大正14年、岡山医大に入学し、卒業後は第一内科へ入局。その後岡山簡易保険健康相談所に勤務。昭和14年に上京し、保険院簡易保険局勤務となる。結核患者を救うために結核予防法を立案するなど厚生省で人望が集まり、将来が期待される矢先、岡山医大盟友川﨑祐宣氏らから県知事選への出馬要請。同26年知事に初当選。医療、福祉優先の行政に着手した。旭川荘の開設でも中心的役割を果たす。
※卒業生

ページの先頭へ戻る